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2011年5月14日 (土)

原初の秦氏・「香春の秘密」

100212g8 「香春神社」の秘密
[神功皇后と香春]香春神社の由緒にある、

神代に唐(韓)土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられた、辛国息長大姫大目命

とは、卑弥呼であるとの説がある。これを、手掛りにして、新羅から日本国に帰ってきたアカルヒメと、沖ノ島を渡ってきた稲葉の素兎が、同じく卑弥呼であるとも言う。
福岡県京都地域の中の一角に、福岡県香春(かわら)町の「香春神社」がある。「香春」は、「鹿原」や「鹿春」、「河原」、「春日」と色々と書かれていた。香春三の岳は銅を産し、宇佐神宮銅鏡や奈良の大仏を鋳造した事が言われているのだ。神武天皇が東征して宮を建てた「カシハラ」であるとも推理されている。そして、この香春神社の由緒には、大変なことが書かれていた・・・。

<香春神社>

この香春地域から北九州徳力にかけて、韓国からの人々が多く住みついていた、という伝説がある。徳力は神功皇后の三韓征伐の時に船の材木を切り出した所である。香春~徳力地域は金属の精錬や陶器の生産に関わっていたと思われる。場所は香春岳の麓である。香春神社由緒書き 神殿横の韓風の像と鹿・・・。徳力からツヌガアラヒト神社、採銅所前を通って香春へ行く。
香春神社の由緒書きを、次に抜粋してみる事にする。

[香春神社由緒]

一、祭神及創立
一の岳~辛国息長大姫大目命。二の岳~忍骨命、三の岳~豊比売命、

当神社は前記三柱の神を奉斎せる宮祠にして、遠く崇神天皇の御宇に創立せられ、各神霊を香春岳上頂三ケ所に奉祀せしが、元明天皇の和銅二年に、一之岳の南麓に一社を築き、三神を合祀し香春宮と尊称せらる。延喜式神名帳に在る、豊前一の宮六座の内の三座なり。

二、祭神の御身分
 第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ、第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ、各々三神三峰に鎭座し、香春三所大明神と称し崇め奉りしなり。

第1に「豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母」の内容である。系図上では神武天皇の母は玉依姫であるから外祖母とは豊玉姫のことではないか。豊玉姫の子供は、ウカヤフキアヘズ命と、新羅王脱解、と安曇磯良(住吉大神)である。
故に、この由緒書きは信頼できると言えよう。従って豊比売命=豊玉姫だ。

第2に「忍骨命は、天津日大御神の御子」の記事である。系図上は忍骨命の父は「天照大神」である。従って天津日大御神=天照大神だ。これも信頼出来る内容と言えよう。

第3に辛国息長大姫大目命は「崇神天皇の御代に帰座せられ」の内容である。崇神天皇の時代の神ということになる。神功皇后と同じ名前であるが、神功皇后は崇神天皇の4代後であるから別の神である!

第4に「各神霊を香春岳上頂三ケ所に奉祀せしが、元明天皇の和銅二年に、一之岳の南麓に一社を築き、」の内容である。
元明天皇の時代に宮祠が山頂から麓に降ろされたとある。元明天皇の時代とは、天武天皇の次の世代にあたり、倭国が滅び日本国の基礎が固まった時だ。風土記が編纂され、日本中の地名改定の詔が発布されたまさにその年にあたる。聖山の頂に祀られていた神々は、国が滅びると次の時代の支配者から地上に引き降ろされた。同じことがされたのだ・・・。従って、山頂に祀られていたのは倭国の神々である。

3.考察?

迷探偵: 由緒の中の「辛国息長大姫大目命」とは誰か?

智導世津翁: 卑弥呼の可能性が一番高い!と思われるのではないか?

何故か?「崇神天皇の御代に帰座せられ」だからだ。

どういう意味か? 卑弥呼は崇神天皇の姉である。崇神天皇とは日本国王だ。姉の卑弥呼は倭王である。(卑弥呼だ。)

それだけでは根拠が薄いが、それだけか?「息長垂姫」とは、代々倭女王が襲名した名前である。崇神天皇の時代の倭女王とは誰ですか?(卑弥呼である。)
ならば、「崇神天皇の御代に帰座せられ」た「辛国息長大姫大目命」とは、卑弥呼ではないか? と言う事は、神功皇后の名前「息長帯比売命」とは、一の岳:祭神の「辛国息長大姫大目命」=卑弥呼から継承したものである、と言う事になる。

考察して行くと、何故、神功皇后が三韓征伐の前に、このすぐ傍の鏡山神社にお参りに来たかという理由の説明がつくではないか。即ち、出征にあたって、卑弥呼の後を継ぐために名前を頂きに参ったのだ。もしくは(?)代目辛国息長大姫大目命を襲名したのだろう。
何故、名前を頂く必要があったのか? それは、由緒書きの中に書いてある。
何と?

即ち、「辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比」とある。

意味は? 唐土とは「韓土」なのだ。神代に、唐(から)という国名なり土地名は無いから、当然「韓」(から)である。辛国も韓国なのだ。神功皇后以前に、韓に渡っていた女性が居たという事になる。しかもその女性は、韓の土地の人が畏れを抱く様な女性である。それは誰か? 勿論、卑弥呼ではないか?!

傍証は? 卑弥呼は、アカルヒメや、稲葉の素兎という別名で、ツヌガアラシトと別かれて、韓から日本に戻って来た。おとぎ話や物語上でも、韓と非常に関係が深いと言う事が解る。崇神天皇の姉で、ヤマトトモモソ姫と言う名前も持っている。

仮説、香春神社由緒にある、辛国息長大姫大目命の一人は、卑弥呼である。香春神社神殿の像 卑弥呼と昔の香春岳。

以上由緒について考察して来たが、この由緒は記紀等の記述とも合っており、信頼出来る。中央の検閲からどうやって逃れることが出来たか、不思議である・・・。
次に系図を掲げます。

次に、「豊比売命」と書かれている、「豊玉姫」について考察してみる。

豊比売=豊玉姫は、第4代新羅王「脱解」の母。豊比売の名前を持った女性が攻めてくれば、新羅の人々は戦意を失うであろう。上手い仕掛けを考えたものである。しかも、もうひとつ仕掛けがあるのだ。それは、住吉大神を一緒にお連れした事だ。住吉大神とは安曇磯良の事だ。安曇磯良とは五十猛の末裔だ。五十猛とは韓神である。韓国の建国に関わった神が一緒なら、さらに戦意消失であろう・・・。

辛国息長大姫大目命

辛国息長大姫大目命とは、代々襲名された名前であることが判明した。その内一人は卑弥呼であることが解った。
他には歴史上の誰の事だろうか。

確かな事は、香春神社に祀られている辛国息長大姫大目命は

?「崇神天皇の御世に帰座せられ」だから、崇神天皇よりも以前の神だという事だ。
?「神代に韓国に渡って」だから、神武天皇より以前の神である。
?二座が忍骨命で、三座が豊姫だから、一座の辛国息長大姫大目命は、その親神にあたる神である。
?天津日大神=天照大神とは別の神である。

では、崇神天皇以前の時代に、卑弥呼、台與以外に、韓国に渡った女性が居るのだろうか?
候補者としては下照姫、宗像三女神が居る。
この候補者の中で、名前が似ているのは宗像3女神ではないか?

仮説、香春神社由緒にある、辛国息長大姫大目命の一人は、宗像三女神である。

宗像3女神について抜粋する。古事記では、化生した順に以下の三神としている。
沖ノ島の沖津宮 - 多紀理毘売(たぎりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)

大島の中津宮 -
市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ)
田島の辺津(へつ)宮 - 多岐都比売命(たぎつひめ)
この三社を総称して宗像神社と呼んでいる。3社で1社とは、名前を繋げなさいと言う事ではないか。宗像三女神の名前を並べてみると、空(から)国の市寸多岐都多紀理姫(いきたきつたきり)姫となり、神功皇后の名前「息長垂=いきたけたり」姫と同じである。しかも、両神は一緒に宇佐神宮に祀られているのである。

仮説

神功皇后の名前は「イキタケタリ姫」である。

宗像三女神の名前は「イキタキタリ姫」
である。

宗像三女神と神功皇后は、名前が同じである。

従って「イキタケタリ姫」は世襲された。卑弥呼も、名前が「息長大姫」である。従って宗像三女神も卑弥呼も神功皇后も、名前は「息長垂姫」である。宗像三女神と神功皇后が一緒に祀られる宇佐神宮が、なにか鍵を握っているように見える。
次の項で、もう少し詳しく宗像3女神を調べてみましょう。

考察、香春神社にはまだまだ、秘密があるのだ。

資料「香春社縁起」

「新羅神は比売許曽(ヒメコソ)の神(赤留比売・アカルヒメ)の垂迹で、摂津国東生り郡・比売許曽神社と同体也」

垂迹とは、辞書に「日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考え方」とある。要するに、名前は色々異なるが本体は一つ、と言う事になる。資料を噛み砕いて言えば、「新羅神=卑弥呼素神=アカルヒメ」である。従って資料と合わせて考察すると次のように解読が出来る。
解読
辛国息長大姫大目命とは、新羅から渡って来た「新羅神」であり、それは「アカルヒメ」であり、「卑弥呼素神」であり、それは「卑弥呼」である。

だが待て、解読の中で、何故卑弥呼なのか? 資料3の「摂津国東生り郡・比売許曽神社と同体也」とはなにか? 本説では、「摂津国とは難波すなわち北九州東北海岸地域にある」と考察している。即ち、アカルヒメが日本に戻って来て先ず到着した「難波の比売許曽社」だ。同じ神が移動したのであるから、当然「同体」だ。では香春神社の比売許曽神は? アカルヒメが次に行ったと書かれる、「国東の比売許曽社」の神だ。
とにかく[香春神社]は大変な秘密を握っている様に見える・・・。

考察

香春に真実、卑弥呼が居たかどうか?さらに検証する。それは歌だ。「万葉集」である。

資料

万葉集巻9 
拔気大首(ぬきけのおほびと)豊国の香春は我家紐の児にいつがり居れば香春は我家

豊国の香春であるから、福岡県の香春にもはや間違ない。
歌の分析だが「紐の児(ヒモノコ?)」とは何か・・・? 紐の児=卑弥呼ではないか。「卑弥呼の我家=香春」である、と歌っているのだ。
考察

何故、卑弥呼は史書には多く書かれるが、こんなに痕跡が薄いのだろうか? それは、新羅神だからである・・・。日本軍は白村江の戦いで、唐新羅連合軍に敗れ、壊滅的な打撃を受け、倭国が崩壊した。責任は誰か? 新羅神・卑弥呼だ。卑弥呼の霊力が足りなかったのだ。それで国家的な祭祀が途絶えたのである。同時に、国記の記述から、卑弥呼の名前がすべて削除された。そして削除された新しい国記が出来、それが「古事記」と「日本書・紀」である。
100212g7 02

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