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2011年6月29日 (水)

秦氏と藤原家

 
◆コメント
驚きました。
《内容》
藤原氏は秦氏ですね。違うならば、“元”から違うことになってしまいます。
 
金鷹
《内容》
藤原家は、確かに秦氏とは婚姻関係にありますが、秦氏ではありません。藤原の祖は鎌足で、元は中臣(なかとみ)と言います。中臣氏の一族が鎌足の代になって帝より藤原の名を頂いて、それから藤原家が始まっているのです。元々は卜部(うらべ)氏や忌部(いんべ)氏など神道の神事を行っていた一族の血筋です。因みに卜部氏は後の吉田神道の吉田になっております。全国の国家神道の神社の元締めとなったのが中臣一族で、裏神道を司るのが忌部氏。中臣と忌部は対立をしていた神道の一族で、元を糺せば面白い話しが沢山あります。最近、物部の一族が注目されておりますので、それらの面白い話しは明かされて行く事でありましょう。
 
厳眞
《内容》
天皇家の名のもとに色々と動かしていたのは藤原の事。秦氏が建立した全国の神社は八万社。関係している社をあわせると九万社に及ぶ。天皇家よりも古くから神事に関わっていたのは忌部氏。忌部氏は、物部の血筋。日向族から天皇制度が始まり、物部も秦氏も天皇家に支配される。秦氏の一部は山背の鴨川流域に拠点を置き‘鴨’を名乗り‘賀茂氏’となる。秦氏が建立した全国の神社に賀茂氏が関係している。太古の昔に物部と秦氏は交流があった。しかして賀茂氏と忌部氏も当然の関係がある。古神道と国家神道とのパイプラインに秦氏が居る。神社を建てる一つの意味は、そこは我が国であり、我が土地である印とするもの。神社を建立したのは秦氏だが、建立させたのは天皇家である。物部の祀る神々も神社へ入れた。秦氏の意思ではなかったが。

秦氏であるPOINT」を御教授下さい。
《内容》
お二人のコメントを読ませて頂きました。秦氏が婚姻関係のあった藤原氏を「秦氏の政治担当にした」のだということでしょうか?婚姻関係が有ったのですから、秦氏+藤原氏のハーフの「血脈」が受け継がれて今も沢山の子孫がいるように思われますが、ハーフでは秦氏ではなくなると言われる。それは、どういった「分別」で秦氏となるのでしょう。伊雑宮と内宮の因縁のお話も耳にしております、九事本紀を禁書にしたことや…
 
貴方は?
《内容》
そうではない。実際の政治をしていたのは藤原の一族。鍵は不比等と天武。秦氏は天皇家に遣える一族であるが、常に陰に居たのは、物部と同じ事。秦氏を知るものは天皇家の秘密を知り、日本の秘密も知る事になる。日本の象徴は天皇家でなければならぬ事。それを主張したのが、藤原家。そして天武帝。
藤原の陰に秦氏は居たが、それは控えていたに過ぎぬ事。藤原家は天皇家と婚姻関係を持ち、日本の歴史は天皇家の歴史とした一族。本や雑誌が秦氏を面白く書いているが、それらの正しい事は3分の1と思った方が良い。ハーフの血筋の事は母親が秦氏、妻が秦氏の出自であるというだけの話し。藤原が秦を名乗る事は無い。

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コメント

山梨の大蔵経寺にそれとは知らずに連れていかれたとき、「蘇我・物部をとけ」との声を聞きました。見ると、その細い道の先には物部神社がありました。アカガシの林のなかの小さな小さなお堂です。以来、心に懸っているのですが、なんともならず。山の麓・寺の横のこの神社、周囲は果樹園になっていて、山頂への道はありません。甲斐の国には、いわゆる渡来系といわれる方々の記憶が強くあるように思います。この辺りは、ことのほか。なにごとでしょうか?

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