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2011年9月19日 (月)

籠神社の海部氏と秘密結社の八咫烏

物部の話しは本来このブログの趣旨ではないので、もうこの辺で終わらせたい所だ。今回は毒舌で、しかも飛鳥&三神の二人にもかなり勝手な事を吹聴している点にクギを刺したい。そこで「物部氏の謎」という本についても、噛み砕いて、物凄く簡単ではあるが、書いてみる事にする。
先ず、本である「物部氏の謎」の内容であるが、この「秦氏の謎」から様々に出版されて来たこのシリーズにして、この本はなかなか入手困難で、最近になってやっと書店で見つけて手に入れたのであったが、読んでみて思った事は、ほとんど関係ない‘徐福’の話しが多い。バカげていると思った。徐福など、どうでも良いではないか。‘物部’の話しを書けよ!! と思った次第であり、読者のほとんどが飛鳥&三神ふうに言えば・・・
同じ事を思ったと考えて‘間違いない!!’(だなぁ、)
又、これも例によってであるが‘秦氏’の話しをまた繰り返して書いている。今までのシリーズでも同じ事を繰り返して書いてあるにも関わらず、また書いているのだ。読者をバカにしている本である。さらに言えば、同じくであるが、また‘ユダヤ’‘イスラエル’の同じ話しを書いているのであるから、この「物部氏の謎」という本は‘詐欺’のバカボン(馬鹿本)としか思えない。 この本から‘物部の話し’だけを残せばペラペラの本になるだろう。 この本は飛鳥&三神ふうに言えば・・・
半額にしても余りある価値だった!!(である・・・。)
さて、これからが本題である。 この本の肝要な部分は古代の日本がどうやって国を作ったか? 誰が作ったか? 何処に作ったか? などである。これを噛み砕いて‘簡単に’書いてみる。
その1.
最初に徐福が日本に上陸したのは‘若狭湾’の方だと言う。そして、その時に徐福に伴って来た集団は畿内に広がり、一大国家を作るのだ。これが何と、物部などではなかった。海や海辺などで暮らしを立てる海人(あまひと)と呼ばれる海辺や浜辺の人達の意味を持つ‘海部’であり、一定の海域や海路などを司っていた集団という事で、これが後に‘海部氏’の名前になる一族の始まりである。そして陸の畿内に広がって行った‘海部氏’は、歴史の書物には書いてないが、作った一大国家が、‘海部王国’という事になる。そして‘徐福’は7年後に一度、中国大陸に戻って行った。
その2.
二度目の‘徐福’の渡来で、徐福に伴って一緒に渡来した集団が上陸した場所は、‘九州’である。しかし、今度は徐福の集団は、海部氏とは違って、こう称していた。‘ヤマト族’・・・。この集団はたちまち九州一帯をほぼ支配した。そして作った国の名は、‘邪馬台国’である。邪馬台国は、ヤマタイではなく、‘ヤマトの国’と読む。これは漢字によって間違った読み方をして来た状態であり、ヤマト族が支配した国=ヤマトの国が正しい。このヤマト俗は武勇の勢力であったので、武士=モノノフと称した。後に武器などもよく作っていたと言われている。ヤマト族とは物部氏の一族の前身である。
その3.
九州のヤマト族は、後に畿内へ向かい、‘ヤマト王国’=邪馬台国と‘海部王国’の対立である。しかし、海部王国に比べると九州のヤマト族=モノノフは比較にならない。圧倒的に‘海部氏’の勢力の方が大きい存在であった。そこでヤマト族は、海部王国の周辺から侵略して行ったと言うのだ。次第に‘ヤマト族’と‘海部氏’の勢力は逆転して行った。そして・・・
その4.
ヤマト族=モノノフと、海部王国との対立は、間に‘卑弥呼’を女王として立てる事によって和合したという事である。
そして、九州の邪馬台国と、畿内の邪馬台国が出来たという事だ。どちらもヤマトの国と読む。めでたし、めでたし・・・
(ホンマか?!)(知らん!)
さて、ややこしい話しを簡単にする。この話しからすると、‘物部’と‘海部’は、もともと別の一族だ。過去は対立していた敵どうしの立場であったと言っても良い。
物部は、元々はヤマト族と称しており、武士=モノノフと呼ばれた武力集団である。
それに対して海部氏の一族は、祭祀族であった事になる。おそらく卑弥呼を立てたのも海部氏からではないか?
つまり、海部氏は物部に国譲りをする代わりに‘卑弥呼’を女王とする条件を出したという事になる。しかし・・・ 畿内の海部王国をまんまと侵略勝ちした筈の物部に、思わぬ墜落事件が起こった・・・ それは九州の王国に起こった。
その5.
九州に支配してなかった場所があった。問題はそこから起こった。 
日向の高千穂の地である。(これや!)
唯一、物部のマヌケである。支配してなかった九州の日向に天皇家の前身である日向族が降臨し、武士(モノノフ)と呼ばれたヤマト族は、邪馬台国もろとも支配されてしまった。そして、氏族、部族の制定が律令発布され、最初は‘武士部’と言っていたヤマト族は、後に「ノ」の字を抜かれ、‘物部’と呼ばれる様になる。この‘物部’という名が出て来るのは5世紀頃と書いてある。つまり、大分後の歴史であり、物部一族について、いくら調べても解り難かった筈である。
閑話休題、
九州を支配した天皇家の邪馬台国と、畿内の邪馬台国は、かくかくしかじかで、再度対立をする事となった。
(ハ~、疲れた・・・ もうええ・・・ )文句がある人は飛鳥昭雄と三神たけるに言うて・・・
そうそう、中山殿が‘聖徳太子’は、海部氏ではないか? と言っていた事があった。さすが!凄い!このバカボンにも書いてあった。‘聖徳太子’は‘海部一族’の大王(おおきみ)だと・・・。もっと前から言っていたのが中山殿であったから、目の付けどころが鋭い!! 偉い!!(ホンマか?)(知らん!)
中山市朗 事務所  info@officeichirou.com

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コメント

籠神社の神主海部氏本人が、海部は、物部の中心であると述べていますよ。

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