文化・芸術

2012年1月 3日 (火)

参考サイト の リンク集!!

明けまして、お芽出度う御座居ます。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
 
2012年、平成24年、辰年、ドラゴンへの道!!
今年始めは、私がよくアクセスしているブログ、サイトのリンクを出来るだけ掲載してみた。但し、あまりに多いので、一気にまとめてしまい、順番も何も無い有り様・・・。そこで、一応はタイトルだけは判る様に書いてある。歴史に関係あるもの、無いもの、あれこれと‘アラカルト’である。本来はそれぞれのサイトの説明をすべき所であるが、ページが溢れそうなので割愛させて頂く。さぁ、好きな所からクリックされよ・・・。
神と仏の落書き①飛鳥の地上絵:http://ameblo.jp/hidekappa/
 
縄文と古代文明を探求しよう! | 日本の支配勢力1【卜部氏(ウラベシ)の系譜】:http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2009/08/000889.html 
 
服部堂 ≪ collabo13 ~こらぼ13のひとりごと~:http://13131313.com/archives/2011/12/
 
素戔嗚尊は弥生の和国王だった:http://www.syamashita.net/history/kodaishi/susano.html
 
 
 
 
消滅しつつある磐座【岡田小秦命神社(奈良県宇陀市小和田)】 - 神社の世紀:http://blog.goo.ne.jp/familyplot1976/e/01a2d434b2af6adc4edae00ed49c8767
 
秘密結社 KNIGHTS † LUCIFER:http://jew-beast.seesaa.net/
 
 
餅鯛稲荷大明神 「神道を知る文献・資料」:http://ooinarien.web.fc2.com/shinto/bunken20.html
 
 
オリバーソース 芦屋道満:http://oliversauce.com/ADohman.htm
 
神々のふるさと、対馬巡礼の旅―番外編(三柱鳥居と天照御魂神社の謎) : 彦左の正眼!:http://hero1945.livedoor.biz/archives/50508000.html
 
国の建て替え立て直し / 地球創生1000年プロジェクト:http://earthtscu.jp/rebuild.html
 
吉岡学公式ブログ:http://earthtscu.jugem.jp/
 
民族学伝承ひろいあげ辞典 - Yahoo!ブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/folder/1601717.html
 
矢代寸神社 yasiroki:http://kamnavi.jp/ym/osaka/yasiroki.htm
 
 
 
 
日本の古代史の黒幕!=高木神(高皇産霊神)-出雲・スサノオ国の霊場:http://yaplog.jp/izumoworld/archive/157
 
古代出雲王国 スサノオ 谷田茂 - livedoor Blog(ブログ):http://blog.livedoor.jp/shig1/
 
 
kitombo.com | 三神たけるのお伽秦氏 | これまで:http://www.kitombo.com/mikami/back.html
 
 
今年も良い年であります様に、お祈り申し上げます。
秦氏の集いネットワーク:arcadia@ksf.biglobe.ne.jp
前回の‘アカルヒメ’は、もしかすると‘日本の古代史の黒幕’のサイトの関係であろうか?

2011年12月31日 (土)

アカルヒメからの神界メッセージ

アカルヒメからの神界メッセージ?
 
今回は驚く事なかれ。アカルヒメから神界のメッセージが私の所に来た。さすがの私もこれには驚いた。この内容が本当かどうかは読者諸氏に見て頂いて是非とも検討して頂きたい。何しろこれを述べているのはアカルヒメ本人である。突拍子も無い事であったので、公開するべきか、どうか、正直な所、迷った。だが、これだけの事を述べているのであるから、これは秦氏である私だけに納めておくのは勿体無い話しであると思い、踏み切る事にした。内容が内容であるだけに、歴史家の諸氏や、古代史の研究家にも是非見て頂きたい。そして検討して欲しいと思った次第である。今年は‘アカルヒメ’のハンドルネームの人からもコメントを頂いて、秦氏についての事を教えて欲しいと言われて、色々とメールのやり取りをさせて頂いている途上でもあるのだが、この方は一般人である。と言っても歴史のある血筋である方なのだが、このブログをことごとく読破をされた凄い人でもある。だが、今回は違う・・・。ハンドルネームではなく、アカルヒメ本人だ。どうもアカルヒメと我ら秦一族は縁がある。もっとも秦一族の縁は、アカルヒメが巫女として祀り、祈っていた‘アメノヒボコ’なのだが、ハテサテ。

 
はじめまして。私は記紀神話の世界で皇祖 神功皇后を輩出したとされてきた 日女神を祀る多氏大王家の巫女に依り憑いた 耀姫尊(あかるひめのみこと)です。実在する神社に祀られている 本物の生き神です。千数百年の長きに渡って 氏子集団のひとつである秦氏の者達からも 崇拝されてきた歴史があります。
記紀神話が設定した女神 天照向津姫は、残念ながら 創作神話成立以前は ほとんど信仰実績がありません。これは、記紀成立以前の 日本全国の古い神社の記録を調べていけば 判然と明らかになる客観的事実です。古文書学者達も 伊勢神道の関係者も 動かしようがありません。したがって、スサノオが活躍した時代に 彼よりも上位の女神天照は、明確な形で存在していなかったことになります。モデルとなった 私達 比売許曽の巫女集団は実在しますが、武神の英雄スサノオよりも 殊更に上位として扱われる立場ではありません。私達は 斎宮制度に基づいて、男王による統治を精神面から補助する立場にあります。男王の戦闘能力や統治能力を高める 数多くのバッファの実技を伝承していますが、男王に対して妹姫(乙姫)の立場にあり、主役である兄王を立てることを信条としてきました。
スサノオは、物部天照系の優れた英雄として信仰を集めて 数多くの神社に祀られていました。日本初の宮を構えた伝承からも歴然と分かるように、最初の天皇と言える大王です。ところが、記紀神話の編集者達が 新たに創作した女神天照大神向津姫尊の名声を高める道具として、悪口を書き立てて 女神天照の愚弟に貶めてしまったのです。今日の出雲系の神々は、記紀神話成立よりも 古い時代に信仰を集めていた神々の流刑地となっています。波兎の瀬織津姫こそ 女神の天照神の原型とも言える 私の分身であり娘のような女神ですが、記紀神話から除外されて 歴史の闇の彼方に葬られそうになったことがあります。それでも、厚い信仰を集めた時代があるため、全て消し去ることが出来なかった女神です。記紀神話の女神天照は、信仰実績のない 対唐外交のために創作された神代の女神です。卑弥呼(当代の耀姫)に対する日女神信仰は古くからありましたが、これを多氏が輩出したと設定した架空の人物 神功皇后と結び付けて 天照大神は神功皇后と思いこませようとしたのが、記紀神話の作者達の外交戦略です。
間違えてはならないのは、時の朝廷(藤原の不比等達)は 日本人を騙して 嘘の神道で精神支配しようとしたのではありません。神代の神話の創作によって 日本には古い歴史があると示すことで 唐が侵略する正当な口実を封じて、日本を侵略戦争から守ろうとしたのです。ですから、当代の耀姫も 秦氏を含む氏子達の賛成多数をもって この国防戦略に基づく宗教改革を容認して 国家の最重要機密を現代まで保持してきました。もちろん、情報公開が当たり前の現代です。いまさらこの機密を堅持する必要はないので、こうして真相を普通に語ることが出来るようになりました。
天照向津姫尊は、物部などが奉じていた 本来の天照系の皇祖神ではありません。その証拠に、この女神には 天祖ではなく天疎の文字が使われています。皇祖神と設定するのは無理があったので、天祖とはできなかったのです。その点 私耀姫に仕える巫女の一族は、歴代の皇妃を輩出した多氏(王氏 母系継承の大王家)としても知られる 神功皇后の一族(記紀神話では天日矛の子孫という設定)のモデルとなった 歴史ある家柄です。もちろん卑弥呼も 高句麗国の神宮ゆかりの 多氏天照家の神道(高句麗道教)を受け継いだ、斎宮を司る斎王の一人で その墓の上に建つ霊廟が宇佐神宮と 当家では伝承されています。饒速日の流れを汲む 波兎の瀬織津姫は、紛れもなく私と同じ天照系の女神で、浦島太郎に登場する龍神 乙姫として広く信仰を集めてきた存在です。私耀姫は 別名を輝夜姫と言い、乙姫同様 日本人から広く信仰対象とされてきた 日の光を受けて夜空に輝き天を照らす女神でもあります。桃太郎の御伽噺は 京都の葵祭として知られる、大王家(古い時代の天皇家)の王権の生誕を祝う 祖神崇拝のお祭りと、内容が一対一対応しています。雷(八岐大蛇)によって鍛えられた神剣 奇蛇剣(くさなぎのつるぎ 現在は奇龍剣の表記で当家が管理する神庫にて秘蔵)を所有した、真の大王家の皇祖を祀っています。
秦氏の皆さんには、記紀神話成立以前の古神道の正しい在り方も 学んで欲しいと思います。秦氏はユダヤ人で鬼悪魔だとする 誹謗中傷情報が広くネット上に流布されていることが原因で、学校で不当ないじめを受ける 秦姓の子達がいます。身勝手に思いついた空想を流布する 少数の心ない人々の手によって、インターネットが 洗脳を受けた人々を操る暴力装置として機能していることを、大変悲しく思います。秦氏は、シルクロードを通って中国に来て 秦帝国に身を寄せたことから 秦人と呼ばれた、一神教になる前の古代イスラエル人を含む アラム語圏(ペルシャ)の人々の文化を受け継ぐ人々の末裔です。高句麗国の神宮を司る乙姫(男王の妹姫 斎王)だった 当代の耀姫の里帰りの託宣に触発されて 豊葦原瑞穂の国(日本)への移住を決意し 多くの貴重な当時の国家機密級の技術(武器生産技術などを含む)を持って渡来したため、弥生時代が古墳時代へと変革する きっかけを作りました。もちろん平安京(エルサレム)の建設も 日本の繁栄を願ってのことでした。日本という国の成立と発展に寄与してきた長い歴史を持つ秦氏は、多民族で構成される さまざまな文化と技術を継承する秦人(漢民族から見た外国人)の集団が実体です。すでに渡来から千数百年が経過し、日本人と完全に融和して その違いを見出すことは出来なくなっています。ユダヤ教徒でも キリスト教徒でも、鬼や悪魔でもありません。正しい情報を発信して、多くの秦氏の末裔達を いわれのない誹謗中傷から あなた達の手で守って頂ければと切に願います。
もちろんこれは、私耀姫からの 正式な託宣であり お願いです。
天照耀姫(あまてる あかるひめ) | 2011年12月13日 (火) 02時33分

ざっとこんな感じである。さて、これを読まれて諸氏はどう感じたであろうか? 知られざる部分もあった筈であるから、研究家の諸氏は、さらにこの内容を以って追及されたい。ここまで神界から語って来てくれているのだから、新たな発見がきっとある筈だ。玄斎殿なら学校で不当なイジメを受けた原因があの‘黒男’である事を思いつく筈。

2011年5月14日 (土)

原初の秦氏・「香春の秘密」

100212g8 「香春神社」の秘密
[神功皇后と香春]香春神社の由緒にある、

神代に唐(韓)土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられた、辛国息長大姫大目命

とは、卑弥呼であるとの説がある。これを、手掛りにして、新羅から日本国に帰ってきたアカルヒメと、沖ノ島を渡ってきた稲葉の素兎が、同じく卑弥呼であるとも言う。
福岡県京都地域の中の一角に、福岡県香春(かわら)町の「香春神社」がある。「香春」は、「鹿原」や「鹿春」、「河原」、「春日」と色々と書かれていた。香春三の岳は銅を産し、宇佐神宮銅鏡や奈良の大仏を鋳造した事が言われているのだ。神武天皇が東征して宮を建てた「カシハラ」であるとも推理されている。そして、この香春神社の由緒には、大変なことが書かれていた・・・。

<香春神社>

この香春地域から北九州徳力にかけて、韓国からの人々が多く住みついていた、という伝説がある。徳力は神功皇后の三韓征伐の時に船の材木を切り出した所である。香春~徳力地域は金属の精錬や陶器の生産に関わっていたと思われる。場所は香春岳の麓である。香春神社由緒書き 神殿横の韓風の像と鹿・・・。徳力からツヌガアラヒト神社、採銅所前を通って香春へ行く。
香春神社の由緒書きを、次に抜粋してみる事にする。

[香春神社由緒]

一、祭神及創立
一の岳~辛国息長大姫大目命。二の岳~忍骨命、三の岳~豊比売命、

当神社は前記三柱の神を奉斎せる宮祠にして、遠く崇神天皇の御宇に創立せられ、各神霊を香春岳上頂三ケ所に奉祀せしが、元明天皇の和銅二年に、一之岳の南麓に一社を築き、三神を合祀し香春宮と尊称せらる。延喜式神名帳に在る、豊前一の宮六座の内の三座なり。

二、祭神の御身分
 第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ、第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ、各々三神三峰に鎭座し、香春三所大明神と称し崇め奉りしなり。

第1に「豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母」の内容である。系図上では神武天皇の母は玉依姫であるから外祖母とは豊玉姫のことではないか。豊玉姫の子供は、ウカヤフキアヘズ命と、新羅王脱解、と安曇磯良(住吉大神)である。
故に、この由緒書きは信頼できると言えよう。従って豊比売命=豊玉姫だ。

第2に「忍骨命は、天津日大御神の御子」の記事である。系図上は忍骨命の父は「天照大神」である。従って天津日大御神=天照大神だ。これも信頼出来る内容と言えよう。

第3に辛国息長大姫大目命は「崇神天皇の御代に帰座せられ」の内容である。崇神天皇の時代の神ということになる。神功皇后と同じ名前であるが、神功皇后は崇神天皇の4代後であるから別の神である!

第4に「各神霊を香春岳上頂三ケ所に奉祀せしが、元明天皇の和銅二年に、一之岳の南麓に一社を築き、」の内容である。
元明天皇の時代に宮祠が山頂から麓に降ろされたとある。元明天皇の時代とは、天武天皇の次の世代にあたり、倭国が滅び日本国の基礎が固まった時だ。風土記が編纂され、日本中の地名改定の詔が発布されたまさにその年にあたる。聖山の頂に祀られていた神々は、国が滅びると次の時代の支配者から地上に引き降ろされた。同じことがされたのだ・・・。従って、山頂に祀られていたのは倭国の神々である。

3.考察?

迷探偵: 由緒の中の「辛国息長大姫大目命」とは誰か?

智導世津翁: 卑弥呼の可能性が一番高い!と思われるのではないか?

何故か?「崇神天皇の御代に帰座せられ」だからだ。

どういう意味か? 卑弥呼は崇神天皇の姉である。崇神天皇とは日本国王だ。姉の卑弥呼は倭王である。(卑弥呼だ。)

それだけでは根拠が薄いが、それだけか?「息長垂姫」とは、代々倭女王が襲名した名前である。崇神天皇の時代の倭女王とは誰ですか?(卑弥呼である。)
ならば、「崇神天皇の御代に帰座せられ」た「辛国息長大姫大目命」とは、卑弥呼ではないか? と言う事は、神功皇后の名前「息長帯比売命」とは、一の岳:祭神の「辛国息長大姫大目命」=卑弥呼から継承したものである、と言う事になる。

考察して行くと、何故、神功皇后が三韓征伐の前に、このすぐ傍の鏡山神社にお参りに来たかという理由の説明がつくではないか。即ち、出征にあたって、卑弥呼の後を継ぐために名前を頂きに参ったのだ。もしくは(?)代目辛国息長大姫大目命を襲名したのだろう。
何故、名前を頂く必要があったのか? それは、由緒書きの中に書いてある。
何と?

即ち、「辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比」とある。

意味は? 唐土とは「韓土」なのだ。神代に、唐(から)という国名なり土地名は無いから、当然「韓」(から)である。辛国も韓国なのだ。神功皇后以前に、韓に渡っていた女性が居たという事になる。しかもその女性は、韓の土地の人が畏れを抱く様な女性である。それは誰か? 勿論、卑弥呼ではないか?!

傍証は? 卑弥呼は、アカルヒメや、稲葉の素兎という別名で、ツヌガアラシトと別かれて、韓から日本に戻って来た。おとぎ話や物語上でも、韓と非常に関係が深いと言う事が解る。崇神天皇の姉で、ヤマトトモモソ姫と言う名前も持っている。

仮説、香春神社由緒にある、辛国息長大姫大目命の一人は、卑弥呼である。香春神社神殿の像 卑弥呼と昔の香春岳。

以上由緒について考察して来たが、この由緒は記紀等の記述とも合っており、信頼出来る。中央の検閲からどうやって逃れることが出来たか、不思議である・・・。
次に系図を掲げます。

次に、「豊比売命」と書かれている、「豊玉姫」について考察してみる。

豊比売=豊玉姫は、第4代新羅王「脱解」の母。豊比売の名前を持った女性が攻めてくれば、新羅の人々は戦意を失うであろう。上手い仕掛けを考えたものである。しかも、もうひとつ仕掛けがあるのだ。それは、住吉大神を一緒にお連れした事だ。住吉大神とは安曇磯良の事だ。安曇磯良とは五十猛の末裔だ。五十猛とは韓神である。韓国の建国に関わった神が一緒なら、さらに戦意消失であろう・・・。

辛国息長大姫大目命

辛国息長大姫大目命とは、代々襲名された名前であることが判明した。その内一人は卑弥呼であることが解った。
他には歴史上の誰の事だろうか。

確かな事は、香春神社に祀られている辛国息長大姫大目命は

?「崇神天皇の御世に帰座せられ」だから、崇神天皇よりも以前の神だという事だ。
?「神代に韓国に渡って」だから、神武天皇より以前の神である。
?二座が忍骨命で、三座が豊姫だから、一座の辛国息長大姫大目命は、その親神にあたる神である。
?天津日大神=天照大神とは別の神である。

では、崇神天皇以前の時代に、卑弥呼、台與以外に、韓国に渡った女性が居るのだろうか?
候補者としては下照姫、宗像三女神が居る。
この候補者の中で、名前が似ているのは宗像3女神ではないか?

仮説、香春神社由緒にある、辛国息長大姫大目命の一人は、宗像三女神である。

宗像3女神について抜粋する。古事記では、化生した順に以下の三神としている。
沖ノ島の沖津宮 - 多紀理毘売(たぎりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ)

大島の中津宮 -
市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ)
田島の辺津(へつ)宮 - 多岐都比売命(たぎつひめ)
この三社を総称して宗像神社と呼んでいる。3社で1社とは、名前を繋げなさいと言う事ではないか。宗像三女神の名前を並べてみると、空(から)国の市寸多岐都多紀理姫(いきたきつたきり)姫となり、神功皇后の名前「息長垂=いきたけたり」姫と同じである。しかも、両神は一緒に宇佐神宮に祀られているのである。

仮説

神功皇后の名前は「イキタケタリ姫」である。

宗像三女神の名前は「イキタキタリ姫」
である。

宗像三女神と神功皇后は、名前が同じである。

従って「イキタケタリ姫」は世襲された。卑弥呼も、名前が「息長大姫」である。従って宗像三女神も卑弥呼も神功皇后も、名前は「息長垂姫」である。宗像三女神と神功皇后が一緒に祀られる宇佐神宮が、なにか鍵を握っているように見える。
次の項で、もう少し詳しく宗像3女神を調べてみましょう。

考察、香春神社にはまだまだ、秘密があるのだ。

資料「香春社縁起」

「新羅神は比売許曽(ヒメコソ)の神(赤留比売・アカルヒメ)の垂迹で、摂津国東生り郡・比売許曽神社と同体也」

垂迹とは、辞書に「日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた権現であるとする考え方」とある。要するに、名前は色々異なるが本体は一つ、と言う事になる。資料を噛み砕いて言えば、「新羅神=卑弥呼素神=アカルヒメ」である。従って資料と合わせて考察すると次のように解読が出来る。
解読
辛国息長大姫大目命とは、新羅から渡って来た「新羅神」であり、それは「アカルヒメ」であり、「卑弥呼素神」であり、それは「卑弥呼」である。

だが待て、解読の中で、何故卑弥呼なのか? 資料3の「摂津国東生り郡・比売許曽神社と同体也」とはなにか? 本説では、「摂津国とは難波すなわち北九州東北海岸地域にある」と考察している。即ち、アカルヒメが日本に戻って来て先ず到着した「難波の比売許曽社」だ。同じ神が移動したのであるから、当然「同体」だ。では香春神社の比売許曽神は? アカルヒメが次に行ったと書かれる、「国東の比売許曽社」の神だ。
とにかく[香春神社]は大変な秘密を握っている様に見える・・・。

考察

香春に真実、卑弥呼が居たかどうか?さらに検証する。それは歌だ。「万葉集」である。

資料

万葉集巻9 
拔気大首(ぬきけのおほびと)豊国の香春は我家紐の児にいつがり居れば香春は我家

豊国の香春であるから、福岡県の香春にもはや間違ない。
歌の分析だが「紐の児(ヒモノコ?)」とは何か・・・? 紐の児=卑弥呼ではないか。「卑弥呼の我家=香春」である、と歌っているのだ。
考察

何故、卑弥呼は史書には多く書かれるが、こんなに痕跡が薄いのだろうか? それは、新羅神だからである・・・。日本軍は白村江の戦いで、唐新羅連合軍に敗れ、壊滅的な打撃を受け、倭国が崩壊した。責任は誰か? 新羅神・卑弥呼だ。卑弥呼の霊力が足りなかったのだ。それで国家的な祭祀が途絶えたのである。同時に、国記の記述から、卑弥呼の名前がすべて削除された。そして削除された新しい国記が出来、それが「古事記」と「日本書・紀」である。
100212g7 02

2011年1月 9日 (日)

秦氏の一族・三柱鳥居の真実!

Img4f1471f9zikfzj_2今回は秦一族の謎の一つと言われている「三柱鳥居」の秘密について金鵄様に伺う事にした。巷であれこれと言われているこの三角の幾何学的な形をした鳥居を巡って色んな想像を巡らせて語っている者が多い様だが、どうやらこれも‘飛鳥なるもの’と‘同じ事ばかり’を唱えているので、これでは誰もが判らないままと同じである。ましてや在りもせぬ事まで語っている様なので、これでは流石に困る・・・。

それでは、これよりその秘密を解き明かそう程に、聞く者は‘飛鳥とやら’の語る事と合わせて考えるが良い。これは<糺す>という点が重要なのだ。その意味内容は同じである。が、その仕組みが問題なのだ・・・。

意味内容が同じであって、問題は仕組み・・・? これは楽しみ。

116606682815812840 何故、ここの鳥居は<三角>なのか? 何故<糺す>なのか? それは三本の柱がそれぞれの神様を拝する様になっており、アメノミナカノヌシノカミと、タカミムスビノカミと、カミムスビノカミに対して祈りを捧げる事になる。さらにこれらはそのまま迦波羅の樹木の3つの柱を意味しており、それはユダヤのエルサレム教団からの流れにある必然的なものである。糺すとは、陰と陽の二元論で糺し、父と、子と、精霊が顕れ、それらはまた、三柱であって一つの柱を顕すものなり。つまり実際には三本の柱から成っているが、どの方角からも鳥居の正面から拝する時は、そこに一本の柱(神)があるという事である。

三柱鳥居は、古代の日本では、何処の神社にも在ったと言われていますが?

その通り・・・。神社仏閣を次々に建立して行ったのは秦一族。そしてそれらの中で‘祭り事’や‘行事’を司って行ったのは賀茂一族。だが・・・ 次々と全国の神社や仏閣から三柱鳥居は消えて行く事となった。この訳については敢えて言わぬ。理由は知らぬが良いであろう。その代わりに三柱鳥居の知られざる秘密を此処に初めて明かす事にする。

そうですね。知らない事が良いと私も思う次第である。消えた話しは秦氏と賀茂氏の問題と、政治的問題も含まれている。

三柱鳥居の秘密とは、それ自体が‘天の力’‘地の力’を出す仕組みなのだ。その力を受けるのが‘人’であり、人の力’となるのだ。つまり‘天’‘地’‘人’である。三柱鳥居をよく見つめてみれば、その出入り口が三方向だけではなく、四方に在る事がわかる筈。つまり、柱は縦の柱のみではなく、横に繋いでいるものも柱なのだ。解り易く言えば、この三柱鳥居を真上から見れば三角の形が在る。これが4つ目である出入り口なのだ。天の太気の力を上から集めて、それを蓄えて地の三本の柱の間から放出するという事である。これによって全ては糺されるのだ。そしてさらに、地の不浄な太気は、これとは逆に三本の柱の間から吸収され、上の三角の出入り口より放出されて浄化する。これによって地もまた糺されるという事である。この事は世間では、まだ誰も知らぬ筈・・・。 <糺す>の秘密はこの‘力の作用’による事である。

これはつまりエネルギーの変換機だ。しかも自然の力であり、迦波羅でもある。人は天からのエナジーを浴びて糺され、それと同時に不浄な気は浄化されるのだ。勿論、人だけではない。この三柱鳥居がに在る事もになっている。つまりこの三柱鳥居が池に立っている事自体が池も糺されている池という事なのだ。だから、この池に入ると病気が治ったりする作用が起こる。さらには、この周辺が草木の茂る森になっている事から森も糺されている事になる。

うむ・・・。まさにそういう事なのだ。消えて行ったこの鳥居も発祥の地である我が秦一族の太秦にだけは在る。そして時は過ぎ、今また三柱の鳥居は蘇りを初めているのだ。糺すの池や、糺すの森が此処から賀茂神社に移った事で、ここは‘元糺す’と言われているが、この木嶋神社は元は賀茂神社だったのではないか? と、バカモノがほざいておる事は耳を貸さぬ事だ。 同じ様に語っておる者は、バカの上塗りとなろう。

それは言い過ぎではないか?

そうか。では、愚かと述べておこう。哀れである。

それではもう一つの秘密も述べられよ。

もう一つもか・・・。まぁ、仕方あるまい。今述べた事からすれば、賀茂神社には‘糺すの池’に‘糺すの森’が在るが、ここまで述べれば理解も出来よう程に、敢えて述べるが・・・  賀茂神社の池や森には糺す為の三柱鳥居が無い・・・。 という事だ。

それではなく、もう一つの秘密です。

かなわぬな、そなたは・・・。 そうか。ならばそれも紐解く事にしよう。

もう一つの秘密とは三柱鳥居の柱の事であろう? これは、つまり柱の数の事なり。この三柱鳥居の柱の数は全部で何本から成っているか? 数えてみよ。

縦の柱は3本・・・。横の三角の出入り口を組んでいる柱は3本。合わせて6本? いや、横の柱は二重になっているから全部で9本?

9本か・・・?

え? ・・・なるほど。二重の横の柱には、その間に(真ん中に)1本づつ、3本があった。という事は、合わせて12本!!

そうだ。これは12使徒の数を意味しておるのだ。それだけではなく、この本数を踏まえて、この三柱鳥居の‘力’の出入り口の数はどうだ?

先程の‘天の力’‘地の力’の出入り口を対象にすれば、三本の柱は3ヶ所。真上から見た三角の出入り口を入れて、合わせて4ヶ所。横の柱は二重になっているので、間にある3本の柱の間の出入り口は3方向合わせて6ヶ所あるから、4+6=10?

左様・・・。この意味は、もう解っておろうな・・・厳眞?

なるほど、これはヘブルの十支族・・・。しかれば上の三角に三本足も陰と陽の二元論。まさに迦波羅・・・。こうして考えるとハッキリ形として目に見えていても神祓(カンバラ)しか解らぬ事という訳だ。
 
Photo  Ke359

2011年1月 8日 (土)

秦氏の一族 「金鵄の登場話し」

今回は、金鵄様から金鵄が登場する神武東征の話しをして頂いた。前回の続きである。
 
 
04_2金鵄は八咫烏のボスと世間では定説になっておる様だが、これは全く記紀・神話とは関係の無い話しである・・・。 しかし、正解ではないが、間違いでもない・・・。 金鵄と八咫烏は別であり、同じではない・・・。 八咫烏のボスとは‘金烏’=‘きんう’である。
金鵄を八咫烏のボスとは八咫烏も述べておらぬ・・・。 神武天皇も、そんな事は一言も述べておらぬ・・・。これより話す事は‘飛鳥なる者’が書いた‘秘密組織’の「八咫烏」の話しから、各ブログを書いている諸氏の間違いを糺すものである・・・。 それには先ずイワレビコノミコトの話しから始める事とする・・・。

そのミコト、後の<神武天皇>と敬称さるる人物なれば、その考察をして、混乱を明らかとする・・・。イワレビコノミコトの話しは幾つにも分かれている事をシッカリ認識せよ・・・。

海路で日向を出発した神武天皇は、筑紫(福岡県)の宇佐から岡田宮、安芸(広島県)のタケリ宮、吉備(岡山県)の高島宮を経て、難波の岬から河内(大阪府)の青雲白肩の津に至り、そこから上陸しようとしたが、土地の豪族である長髄彦(ナガスネヒコ)の激しい攻撃を受け、一時撤退する。この時に長兄の五瀬命が敵の矢玉に当たり、重傷を負ってしまった。
神武天皇は、「日の神の子孫である我々が日の出の方角に攻め込んだのがまずかった。」と深く後悔し、紀伊(和歌山県)の雄水門へと上陸し、竈山へと進軍した。この途中、重傷の五瀬命は息を引き取ったという。

さらに神武天皇は先へ進み、狭野を越えて、熊野の神邑に着き、天磐盾(アメノイワタテ)に登った。それから海を渡るが暴風に遭い、残った2人の兄の稲氷命(イナヒノミコト)、三毛入野命(ミケイリノミコト)を失った。やっとの事で熊野の山中へとさしかかった神武軍の前に、巨大な熊が現れた。実はこの熊、この土地の神の化身した姿で、この神の放つ毒気により、兵たちはみな失神して倒れてしまった。この様子を見ていたのが天上界の最高神の1柱、高御産巣日神天照大神で、すぐさま援軍のために武甕槌神を差し向けようとした。しかし、武甕槌神はその必要はないと言い、霊剣布都御魂剣を降下させた。霊剣は、天孫降臨の際に邇邇芸命に従って降り、熊野に住み着いていた高倉下神の倉の屋根を突き破って床に突き立った。翌朝それを見つけた高倉下神が直ちにそれを神武天皇の陣へと届けると、兵も天皇も元気を取り戻し、付近の豪族をうち破ってさらに進軍することが出来た。

これが最初の話しである。神武天皇の大和までの道のりがよく示されておる。次の話しがこれだ・・・。

ところが、兵も王も九州生まれの九州育ち、このあたりの地理にはとんと疎い。人里ならば知れず、山中での行軍とあっては土地勘がないことにはどうしようもない。さすがの霊剣もこればかりは役には立たなかったようだ。意気揚々と進んだのがいけなかったのか、たちまち道に迷ってしまった。これを天上で見ていた高御産巣日神、直ちに賀茂建角身命(カモノタケツヌミノミコト)を呼び出し、助力を命じた。賀茂建角身命は、すぐさま、三本の足をもった漆黒の烏に化身して東征軍の頭上に舞い降りた。
神武天皇は突然現れた不思議な烏を神の使いと確信し、全軍に烏の後に続くようにと命令を出した。八咫烏(ヤタガラス)と名乗るその烏に導かれ、神武軍は無事に山越えをすることが出来たという。
 
八咫烏が初めてここに登場する。熊野から大和へ導いた話しである。八咫烏とは賀茂一族の祖先であり、京都の下鴨神社の祭神である。 だが、この話しには金鵄がおらぬであろう・・・? 金鵄が出て来る話しはナガスネビコとの戦いで神武軍が苦戦を強いられた長髄邑(ナガスネムラ=生駒市での事。

東征軍はさらに吉野宇多へと進軍した。この地は兄宇迦斯(エウカシ)、弟宇迦斯(オトウカシ)という豪族の治める地だったが、兄宇迦斯は神武天皇に申し出て、この地を譲るので和解成立の宴会に出てくれと言った。実はこれは罠で、兄宇迦斯は宴会場に細工を施し、人が入ると天井が落ちてくるようになっていた。しかし、事前に弟宇迦斯が神武天皇のもとに走り、そのことを密告していたので、神武天皇を迎えに出て、先に宴会場に入らせようとしていた兄宇迦斯は「おまえが先に入ってみせろ」と問いつめられ、宴会場にたたき込まれて落ちてきた天井に潰されてしまった。こうして大和まで攻め込んだ神武天皇は、長兄五瀬命の命を奪った宿命の敵、長髄彦と相対する。

上の話しはあまり取り上げられる事がないが知っておく事だ。そして最後の話しである以下のものだ・・・。 いよいよ登場するのが‘金鵄’である。

日の神の血を受け継ぐ王と、先住民族の覇者との対決である。東征始まって以来の激戦となり、両軍共に死力を尽くして戦った。しかし、次第に遠征に疲れた神武天皇の軍は押し返され、戦況は思わしくない方に動き始めた。
神武天皇が最期の突撃の覚悟を決め、空を見上げたその時である。遙か天空から金色の鵄(トビ)が飛来し、天皇の構えた弓にとまった。そしてあたかも雷光のごとく照り輝きだしたのである。この光を浴びた長髄彦の軍は、みな目がくらんで戦意を喪失し、敗走してしまった。追いすがる追撃軍を避け、なんとか体勢を立て直しつつ反撃の軍議を開こうとした長髄彦の前に歩み寄ったのは片腕ともたのむ饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)であった。
饒速日尊が十種の神宝のひとつ、八握剣(ヤツカノツルギ)を一閃すると、長髄彦の首は驚愕の表情を浮かべたまま地に落ちた。
饒速日尊は、はじめからこの時のために長髄彦のもとへと降った のである。
饒速日尊はその足で神武天皇の陣へと赴き、いきさつを説明して、大和の支配権を献上した。

002_2これで<八咫烏>と<金鵄>が別である事が認識出来たであろう。 八咫烏が賀茂氏である事はハッキリしているが、八咫烏のボスが金鵄であるとは言っていない。 またこれらが登場する場面も別であろう。だが、神話とはカラクリがあるものだ。八咫烏が賀茂氏の一族であれば、金鵄もまた何かを示している訳なのだ・・・。
 
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秦氏の一族・金鵄様、

今回は‘秦一族’をよく知る<金鵄様>に最近までの諸説による変な間違いについて語って頂く事となった。 
 
 
003八咫鴉・・・。どうも神話と離れて‘裏天皇’の話しがやたらと色んなサイトで、さも知っている様に書いている者が多いと思ったら、やはりあの‘飛鳥なる者’の書籍が原因である様だが、これを信じている者達は、まだ浅い川に居るのが解っておらぬ様だ・・・。

浅き川も深く渡れ・・・。

ヤタガラスが神武天皇を助けに現れ、大和へ案内した話しは、もはや言うまでも無い事であるが、鴉は鴉だ・・・。それが何故わからぬか? 絵画や人形、絵説き話し等、或いは屏風に描かれていると言うに、飛鳥なる者も触れておらぬから、皆は右に習えではないか。何処に目がついておるのか・・・。それの方が不思議な話しよ。

今、口を開き、秘密を明かしてやろう程に、この話しを読み返すべし・・・。神武天皇の弓、或いは杖にとまっているのは金鵄。

金鵄はカラスにあらず。これ、鳶=トビである。トビとは、トンビとも言うが、これは「カァカァ」と鳴くカラスではないであろう。何故それを理解出来ぬのか、不思議な話しとはこの事だ。トビとは「ピーヒョロロ・・・」と鳴く。解らぬ者はもう一度画像をよく見る事である。このトビは何処からどう見てもカラスではないであろうが。では、何故八咫鴉のボスが鳶なのか? 考えてみよ。

まだ解らぬか・・・? 

トビとは、これ即ち鷹=タカの事・・・。鷹を象徴とするのは何者であるか? 以前にも書いているであろう。始めから答えは出ているではないか。 それは秦氏の一族である。 秦一族の鷹は<白い鷹>だが、或る時は<金の鷹>でもある。 鳶は鷹の種類の1つ。もっと言えば、鷲、鷹、鳶、は、同じである。調べれば解る。

では、金鵄とは鳶であって、鴉ではないのは何故であるか? これより先は・・・。

002

秦一族の歴史・その始まり

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秦氏の一族は、よく奈良時代に朝鮮半島から渡って来た渡来人と記されている事が多い様だが、  実は違う!

学校の教科書にも名前が出て来るので御存知の人もいるだろうが「魏志倭人伝」という古い日本についての事が記録されている文献で、そこには「日本には‘秦王国’がある」という事が記されている部分がある。

「魏志倭人伝」の‘魏志’とは<邪馬台国>の事だ。従って‘卑弥呼’の時代であるから大和政権はまだ無い時代である。正しく言えば日本は‘倭国’と言われていた弥生時代であり、中期以前であるので卑弥呼が女王として君臨する以前になる。

では「秦王国」は何処にあったのか? これはあまり知られてなく、歴史の研究かも悩んでいたらしい。が、調べてみると「隋書」に瀬戸内の沿岸付近である事が記されている。つまり・・・

秦氏一族は日本が「倭国:わのくに」と言われていた弥生時代には既に日本に居た訳である。だが王国など簡単に出来るものではない。この時代までに3回~4回に渡って渡来して来ているのが別の文献にも記録されている。

応神天皇の時代で弓月君の時代と思われているが、これも違う! 秦氏一族が居たのは初代天皇も居ない時代からである。

日本は初代天皇が即位してからの国であり、それまでは中国大陸の領地の一部であったのだ。日本がいつから日本と言われるようになったのか?という事を考えてみて欲しい。これは大分後の時代なのだ。かくいう卑弥呼が女王となったのも、大陸側からの女王として認めるという認可を頂いていた事で理解出来る筈である。

秦氏と言えば‘渡来人’と認識されているが、実際の話しとしては、日本人は居ない。日本は古代では今ほど海抜はなく、大陸から簡単に行き来が出来た島であり、中国、韓国、朝鮮、ロシア、インド、そしてイスラエル(ユダヤ)など、あらゆる国の民族が渡って来て帰化して出来ている‘多民族国家’である。先住民と言われているアイヌ人も渡来人である。先住民というだけの話しであり、初めから島に居たわけではない。

つまり、秦氏が渡来人ではなく、貴方も渡来人の子孫なのだ。

         秦一族全国ネットワーク・メンバー募集 arcadia@ksf.biglobe.ne.jp

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